埼玉県さいたま市北区日進町(旧大宮市)の歯医者 歯科医院 ヤスダ歯科|スタッフ紹介
| 診療時間 | 09:00〜13:00 14:30〜19:00 土曜日は18:00まで |
| 休診日 | 木曜・日曜・祝日 (祝日のある週の木曜日は診療いたします) |

幼少期〜学生時代
私は子供の頃から、口は割りとたつ方でした。それが「この子は頭がいい」という誤解を生み、両親の教育熱に火がつきました。
教育熱心だった両親のおかげで、小学校高学年のころには週に2回、受験直前はほとんど毎日、塾に通っていました。当時は「塾通い」している子供はあまりいませんでした。ただ、塾に行くと言っても、夕方6時頃からで、その頃になると友達連中もパラパラと家に帰っていきました。ですから、満足に友達と遊ぶ時間がなかったというわけではなく、とくに寂しい思いをしたわけではありません。
鴨川でのザリガニつり、今で言う「大宮 花の丘」周辺でのカブトムシ採り、荒川土手でのバッタ採り、日進神社でのカンケリ・・・いい思いです。
なんとか志望校に合格できましたが、入ってみると周りは私なんかよりずっと優秀な連中が集まっており、中学・高校を通して常に下から数えたほうが早いといった按配でした。「本当に頭のいいヤツってのは違うな!」と小さな挫折を味わいました。
中学・高校時代はワンダーフォーゲル部に所属し、休みのたびごとに山に登っていました。もっとも、自然は嫌いではありませんが、山が好きで登っていたというよりは、仲のよかった友達に誘われるままにクラブに入って、やめる理由がないから続けたといったところでしたが・・・
それでも一山越えるごとの達成感というのは他の事柄同様、とても気持ちのよいものでした。
山で見る空の色は都内やさいたま市内で見るよりもずっと濃い青(藍といったほうが良いかも)で、夜空の星も見える数が多く、星空はいやに大きかったということを今でも鮮明に思い出します。
父は大成町で歯科医師をしており(今でも現役です)、父やその仕事を子供心に誇らしく思い、自分も歯科医師になりたいと思っていました。そして、高校を卒業すると歯科大学に進学しました。
大学時代は競技スキーをやってみたくてスキー部に入部しました。入部して間もないころ、両親が交通事故に遭い、部活どころではなくなり、やむなく退部しました。 私よりも妹のほうが深刻で、受験をあきらめて働きに出ると言いだす始末。私にそこまでの覚悟が無かったのは兄としては恥ずかしい思いです。
幸いにして、両親ともに怪我は完治し、それまでの日常が戻ったのですが、いったんやめてしまったクラブには戻りづらく、友人たちとフラフラと遊んで暮らしていました。
このころは映画を見るのが好きで、新作・旧作問わず、年間100本くらい見ていました。
特に好きだったのは「ゴッド ファーザー(第1作目)」「炎のランナー」「ブレードランナー」「スターウォーズ(旧3部作、エピソード4〜6)」などです。
大学病院勤務時代
大学を卒業後は、父の勧めもあって大学院に進みました。全身疾患や全身管理について学ぶため、歯科麻酔学を専攻しました。高齢者の増加に伴い、全身疾患を有している方が歯科を受診する機会が増えてくるであろうと考えたからです。
歯科麻酔学教室の業務は大きく5つ
1.歯科の手術時の全身麻酔(がん、骨折、インプラント、外科矯正など)
2.高血圧や糖尿病、心疾患を持ち、通常の歯科治療が困難な方のケア
3.歯科治療が怖くて、普通の歯科医院の受診が困難な方のケア
4.さまざまな理由で麻酔が効きにくい方の麻酔注射
5.町の開業医さんでは行うことが難しい小口腔外科手術
大学院での研究テーマは神経麻痺の治療についての研究モデルの構築(タイトルは「三叉神経麻痺に関する実験的研究」、まるでコトバ遊び!)でした。また、歯科治療時に、痛くなく麻酔注射をするテクニックはこのとき学びました。
大学院卒業後、日本大学板橋病院にて全身麻酔の研鑽を重ね、延べ400件の症例を経験しました。マンガ「ブラックジャックによろしく」に描かれているような現場を覗き見ることもできました。
ここでの毎日で、なかでも好きだったのは“お産の麻酔”でした(ヘンな意味ではありませんよ、念のため)。
大学病院で行われる手術の大半は“がん”の手術で、その手術を経て患者さんは日常に復帰していくという、それ自体大変重要なものであることは間違いないのですが、切除療法=切り捨てていく医療なのです。
その点“お産の麻酔”は新しい生命を生み出す手術で、大変な遣り甲斐を覚えました。
この経験は今の歯科治療に対する考え方に影響を与えてくれました。
切除療法=「歯を削る」「歯を抜く」よりも、温存療法・予防療法をライフワークにしていきたいと考えるようになったのです。その後、歯科麻酔の認定医を取得し、大学病院を退職しました。
歯科麻酔認定医の試験は、ながらく試験勉強から遠ざかっていた身には結構大変でした。
歯科医師として
大学病院退職後、尊敬している先生からの紹介で、都内港区の開業医のオフィスに3年半勤務しました。
ここは、日本で最大級のスタディーグループ(大学教育では教えられていない、でも本当は歯科治療を進める上でとっても重要な原理・原則・テクニックを探求する集まり)の会長を務めていた院長先生のオフィスで、歯科治療の基礎だけでなく、かみ合わせの重要性や審美歯科・インプラントといった、最先端の歯科医療を学ばせていただきました。
しかし、港区という土地柄、診療室を訪れる方のほとんどは会社勤務の方で、転勤・異動で通院されなくなってしまうこともしばしばでした。 「もっと生涯にわたる付き合いがしたい!」「自分で行った治療の5年後・10年後をきちんと見ていきたい」そう思うようになりました。
平成16年10月よりは、大宮区にある父の診療所で地元の方たちとの交流を図ってきました。父はかの地で30年間、歯科医師を続けています。当然、患者さんたちは父をお目当てに来院される方ばかりです。
「30年間で構築された信頼とはとても固く、素晴らしい関係だな。こんな関係を自分自身の手で作り上げたい!」それが独立開業を志したきっかけでした。
そして平成17年10月、出身地である北区日進町にてヤスダ歯科を開設いたしました。
みなさんの健康増進を通して、生涯の友人として、地域に無くてはならない存在になりたいと考えています。





